『教育パパですが、何か?』のつぶやき(Vol. 53)

こんにちは。『教育パパですが、何か?』です。

 

いじめを抑止するために、『いじめられる側も悪い』という意見をこの世から消したい。

 

この意見が存在すると、弱者であるいじめられる側が『自分も悪い』と思い込んで、泣き寝入りすることが起こる。

 

いじめはいじめる側が絶対的に悪い。

 

フランスの法案にあったように、『いじめ』が『犯罪』という強い言葉になることによって、いじめる側が絶対的に悪いという認識が当然となる世の中になることを願う。

 

 

今週(2021年11月29日~2021年12月5日)のTwitterのつぶやき(フォロワー数は約12,200人)を以下にまとめています。小5娘の学習ネタ、1歳娘の育脳ネタなど「楽しい教育パパママのすすめ」について発信しています。

 

 

2021年12月5日(日)

フランスで学校でのいじめを犯罪化する法案が可決されたことについて小5娘と話した。「いじめ」という中途半端な言葉ではなく、「犯罪」という強い言葉がいじめの抑止に繋がる。こういうことは子どもが知識として入れておくだけでも有益だと感じる。

 

2021年12月4日(土)

親が子どもに「自分の意思を持って嫌なことは嫌と言うべき」を伝えると、見事にブーメランとなって戻ってくる。嫌なことは嫌と言ってきて、間もなく根拠やインセンティブをちゃんと示さないと動かない小難しい子どもができあがる。ただ、これは悪いことではないが。

 

2021年12月3日(金)

小学生の授業で最も記憶に残っているのは、円錐の体積が円柱の体積の1/3になるということを学んだ算数の授業。先生が円錐と円柱の容器に水を入れて1/3しかないことを実演し、そんなに少ないのかと衝撃を受けた。あまりにも衝撃を受けたので、家に帰ってから母に報告したことを覚えている。

 

2021年12月2日(木)

勉強は複利。早くにやればやるほど得をする。例えば、小学校の勉強で文章を読む力やスピードが鍛えられると、その能力はそこから何十年もの間生かされ、多くの恩恵を受ける。そして、受けたその恩恵がさらにその後も生かされていき、恩恵は雪だるま式に増えて行く。

 

2021年12月1日(水)

大学に行く重要な意義の一つに、スゴい奴と運命共同体になることが挙げられる。単に専門的なことを学ぶだけなら、大学に行かなくてもそれなりに学べる。しかし、スゴい奴との出会いは優れたコミュニティに属さないと得られない。そういう意味では、ある程度優れた大学に行くことは意味がある。

 

2021年11月30日(火)

勉強が無駄、学校が無駄、学歴は不要。これらには一般化の怖さがある。確かにそうだった人はいるかもしれないが、この手の話は一部の話を一般的な話にすり替えて語られる。こういうことを真に受けずに賢く生きたいものである。一般化する人は周りを油断させるズル賢い人かもしれない。

 

2021年11月29日(月)

『もっと子どもと一緒に過ごせば良かった』我が子とあまり一緒に過ごさなかったことを後悔している親が存在する。こういう先輩の声は素直に耳を傾け、忙しい仕事の合間に時間を作って子どもとの時間を作りたいものである。